皆さん、こんにちは!
いつも東京ラスクオンラインショップをご利用いただき、誠にありがとうございます。
東京ラスク社員であり大の映画好きな私 Haruが、「おやつのお供に観たい映画」をご紹介していくこのブログ。
映画について語りつつ、ラスクに合う楽しみ方もちょっと添えて。
ぜひ、ラスクとお気に入り映画で心ほどける時間をお過ごしください。
第43回では、トスカーナの陽光の下、奔放な上流婦人と謎めく若い女性の逃避行が、痛みと希望を湛えた絆へと変わる人間ドラマを紹介します。
主演を務めたヴァレリア・ブルー二・テデスキとミカエラ・ラマッツォッティの圧倒的な演技に心を打たれる作品です。
○歓びのトスカーナ(2016年製作)
スタッフ・キャスト
監督:パオロ・ヴィルズィ
ベアトリーチェ役:ヴァレリア・ブルー二・テデスキ
ドナテッラ役:ミカエラ・ラマッツォッティ
~あらすじ~
イタリア・トスカーナ地方の緑豊かな丘の上にある診療施設。ここでは心に様々な問題を抱えた女性たちが、広大な庭で寛いだり農作業に勤しんだりしながら、社会に復帰するための治療を受けている。大声を張り上げて意気揚々と闊歩する自称・伯爵夫人のベアトリーチェ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)は、この施設の女王様のような存在だ。ある日、ベアトリーチェはやせ細った身体のあちこちにタトゥーが刻まれた若く美しい新参者ドナテッラ(ミカエラ・ラマッツォッティ)を目にする。虚言癖でおしゃべりなベアトリーチェと、自分の殻に閉じこもるドナテッラ。ルームメイトになった正反対の二人は、施設をひょっこり抜け出し、行き当たりばったりの破天荒な旅を繰り広げる。そんな逃避行の中で徐々に絆を深めていく二人。だが心に傷を負ったドナテッラの脳裏にある痛切な記憶が甦り、ベアトリーチェは施設に引き戻された彼女を救い出そうとするのだが……。
引用:MOVIE WALKER PRESS(https://press.moviewalker.jp/mv62770/)
◆見どころポイント◆
①二人の化学反応が生む「歓び」と「痛み」の共鳴
本作の最大の魅力は、ベアトリーチェとドナテッラという正反対の二人が、出会いと衝突を重ねるなかで生み出す圧倒的な化学反応にあります。
おしゃべりで支配的、しかし壊れやすい虚勢をまとったベアトリーチェと、沈黙の奥に深い傷と柔らかい眼差しを隠し持つドナテッラ。
二人のテンポの異なる呼吸が、会話の間合い、視線の逸らし方、ふとした微笑みの瞬間に宿り、観る者の心を静かに揺らします。
ときに痛々しく、ときに可笑しいやりとりは、単なる友情物語を越え、互いの欠落を補い合う「同盟」の誕生を感じさせます。
テデスキの軽やかな毒舌と、ラマッツォッティの沈黙が語る余白ー相反する演技スタイルが見事に溶け合い、二人が車を走らせる時間すらドラマに変える力となっています。
彼女たちの抱える秘密や嘘は、暴かれるためではなく、理解され受け止められるためにあるーその優しい視点が、笑いの奥に滲む哀しみを、結局は「歓び」へと連れていくのです。
二人の関係性の振幅を最後まで味わいたくなる、稀有な演技の競演です。
②トスカーナの光と疾走がもたらす、ロードムービー的快楽
監督パオロ・ヴィルツィは、トスカーナの眩い光と柔らかな陰影を使い、物語の息づかいを画と運動で語ります。
青空、干し草の金色、海風のきらめき、田園の緑ー豊かな自然の色調が、二人の気分の上下とシンクロするかのように変化し、心の風景を可視化します。
治療共同体「ヴィラ・ビオンディ」の規律から離れ、バスや車で移動する場面は、地図を逸脱する「生のはみ出し」を鮮やかに捉えます。
カメラは過度な説明を避けながら、車窓、風に煽られる髪、沈黙の横顔に寄り添い、逃避行の昂揚と不安を同居させます。
音楽も見事で、軽妙さが心の重みを無化せず、むしろ歩調を整える伴奏として機能します。
絵葉書的に美しいだけではない、風景が物語の役者として働く感覚は、ロードムービーの悦楽そのもの。
走ることは逃げることでもあり、選ぶことでもあるーその二重性が映像とリズムに刻まれ、観る側の身体に「もっと走って、もっと見たい」という欲求を呼び覚まします。
トスカーナの地形が二人の心の起伏を増幅し、画面の開放感が希望の圧力を高める、映画ならではの体験があります。
③心の病をめぐる優しいまなざしと、社会への鋭い洞察
本作は、心の病や社会的弱者を「問題」として扱うのではなく、個としての尊厳と環境による傷つきの両側面から繊細に照らします。
診断名や処方の羅列に逃げず、言葉にならない感情、思いがけない衝動、過去の選択の重みを、他者のまなざしと関係性の変化を通じて理解させてくれます。
一方で、富や血統、権力が人間関係を歪め、弱い立場の者に過酷な選択を迫る現実も、皮肉とユーモアを交えてえぐり出します。
施設のルール、家族の不在、司法・医療の手続きーそれらが守りにも檻にもなり得る二面性を、観客に考えさせる作りが秀逸です。
笑いは安っぽい慰めではなく、痛みを直視するための呼吸であり、涙は憐憫ではなく、他者を引き受ける契機になっています。
監督の優しさは、キャラクターを“立派に更生”させることではなく、彼らの矛盾を抱いたまま肯定することに宿ります。
そのため観客は、二人がどんな選択をしても、そこに至る過程を尊重したくなるのです。
社会派でありながら説教臭さがなく、ドラマでありながら軽やか。現代を生きる私たちに有効な、希望のリアリズムが息づいています。
まとめ
『歓びのトスカーナ』は、二人の圧倒的な演技が紡ぐ関係のドラマ、光と風が物語る映像の悦楽、心の病と社会の現実を見据える優しい視線が、美しく交差する一本です。
逃げることがただの現実逃避ではなく、選び直すための時間になる瞬間を、映画は確かに見せてくれます。
結末よりも大切なのは、その道のりで交わされた言葉、沈黙、躊躇、そして小さな勇気です。
観終えてなお、二人が画面の外でも走り続けているように感じられる、余韻豊かな体験をぜひお楽しみください。
それでは、映画とともに 素敵なラスク時間を