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東京ラスク社員であり大の映画好きな私 Haruが、「おやつのお供に観たい映画」をご紹介していくこのブログ。
映画について語りつつ、ラスクに合う楽しみ方もちょっと添えて。
ぜひ、ラスクとお気に入り映画で心ほどける時間をお過ごしください。
第39回では、パリの下町を舞台に、迷子になった飼い猫を探す若い女性が、様々な人々との出会いで少しだけ大人になる姿を描くロマンチック・コメディを紹介します。
行方不明になった黒猫グリグリを探す騒動の中で、飼い主クロエの孤独と当時のパリが立ち上がる、愛おしくてチャーミングな奥深い都市のスケッチです。
○猫が行方不明(1996年製作)
スタッフ・キャスト
監督:セドリック・クラピッシュ
クロエ役:ギャランス・クラヴェル
ジャメル役:ジヌディヌ・スアレム
ミシェル役:オリヴィエ・ピィ
マダム・ルネ役:ルネ・ル・カルム
~あらすじ~
パリの下町で、メイクの仕事をするクロエが留守中に預けた黒猫グリグリが行方不明に。近隣の住人たちを巻き込み捜索する数日間の中で、街の素顔と彼女自身の心の輪郭が浮かび上がる。
◆見どころポイント◆
①ドタバタの猫探しが、街と人の回路を可視化する快楽
グリグリが消えた瞬間から、クロエは近所の店、工事現場、バー、路地裏と、ありとあらゆる人々を巻き込みます。貼り紙、張り込み、伝言ゲーム。警察沙汰にはならない小さな騒動が、オフビートで軽快なリズムに乗って転がり、観客は本当に一緒に探しているかのような没入感に包まれます。
手持ちのカメラが拾う路地の手触り、行き交う方言や訛り、生活音のリズムが「探す」行為の高揚とシンクロ。
グリグリは単なる猫ではなく、街の見えない点と点をつなぐ媒介になり、観る人はパリの迷路を自分の足で踏破していく感覚を味わえます。
笑いが起きているのに胸のどこかがきゅっとなる、このチャーミングで創造的な探索劇こそ、本作の入り口にして大きな魅力です。
②言葉に頼らない繊細さークロエの孤独と関係の手触り
クロエの周りにはそれなりに男が数人いますが、どれもしっくりこない。映画はその理由を台詞で明かしません。
視線の泳ぎ、肩の落ち方、帰路の足取り、部屋に差す夕光、ベッドに沈む呼吸。細部が語るものは多く、言葉を使わずにクロエの心の温度を描いていきます。
特に、クロエの休暇のくだりを、海で泳ぐ一瞬のショットでスッと切り上げる編集はとても大胆。
また象徴的なのが、マダム・ヴェルリゴダンからの電話の場面。「今日はいい天気ね」と話す彼女の部屋では、カーテンが閉ざされ日差しは入っていません。言葉と現実のズレが、誰の胸にも潜む孤独の普遍性をそっと照らします。
猫探しの騒がしさと、ひとりの時間の静けさが反響し合い、クロエの「まだ言葉にならない違和感」が輪郭を得ていく。
恋も仕事も、ドラマティックな決定打ではなく、微細な選択と保留の連続として示されます。
そのさじ加減が観客の想像力を呼び込み、彼女の沈黙の隙間に自分自身の記憶や感情を重ねたくなる。軽やかな表面の下に潜むこの奥行きのある心理劇が、見終わったあとも胸に長く残ります。
③パリの今を織り込むー再開発、地上げ、高齢社会を“説教抜き”で
舞台は変貌著しいパリの下町。再開発や地上げで路地が消え、短期滞在者が出入りし、高齢者は取り残されがち。
映画は指を差すのではなく、猫探しの導線に社会の断面を編み込むことで、都市の呼吸を体感させます。
鮮烈なのは、黒猫の死骸が見つかる場面。グリグリではないと分かった途端、みなが一様に安堵し、その遺骸には誰も目を向けない。この小さくも残酷な安堵が、共同体の利己と無力をえぐり出します。
一方で、商店主の気遣い、若者たちの機転、古株の住人の知恵など、街の優しさも同じ画面に同居。
単純な善悪二項対立に落とさず、チャーミングでありながらエッジィな観察眼で、都市が抱えるひずみと魅力を“さらっと”映すバランス感覚が見事です。
軽い笑いの余韻と、言い切れない後味が同時に残るーさらっと見られるのに中身は深い、現代パリ映画の醍醐味がこの作品にはあります。
まとめ
『猫が行方不明』は、猫探しのドタバタという軽やかな外殻の中に、言葉少なに紡がれる孤独と人間関係の微妙な温度差、そして再開発や高齢化に揺れるパリの現在が、説教抜きで溶け込んでいます。
オフビートだけどクリエイティブ、チャーミングだけどエッジィ。
すべてのシーンが素晴らしく、さらっと見られて、見終えてからじわじわ沁みる。グリグリを追いかけるうちに、あなた自身の街の匂いと、ふとした孤独の手触りを思い出させてくれるはずです。
それでは、映画とともに 素敵なラスク時間を







